駅前で募金活動をする大学生達が
まるで存在しないかのように目の前を通り過ぎる人々。
最近、積極的に募金をしている人の姿が少なくなった。
国の動きが遅すぎて、せっかくの好意が届かない「あきらめ」からなのか。
それとも3ヶ月が過ぎて少しずつ「興味」が薄れていっているからなのか。
ホントのところはわからない。
僕は募金しようかどうか迷いながら、近づいていく。
でも、ポケットの小銭入れに手が届かずそのまま通り過ぎた。
理由はわかっていた。「心が動かなかった」からだ。
まず最初に浮かんだのは、彼らは目的を持って募金活動をしているのかということ。
「継続は力」という言葉がある。続けることはそれだけでもすごいことだと認める。
ただ、ルーチンワーク化しているのであれば、話はちょっと変わってくると思う。
行動が目的になっていないか。目的を見失っていないか常に振り返ることは重要だ。
「やっているから俺たちはボランティア精神に長けている」のでは
ただの自己満足に過ぎない。だから僕の心は動かなかった。
もうひとつは「情熱」が感じられなかったこと。
カンペを見ながら棒読みで呼びかける言葉はどこか死んでいる。
心で思っていることを話すとき、カンペなんか必要ない。
不器用でもイイから、自分の感じた言葉で伝えればいいのに。
そんな思いが僕の手を止めてしまった。
「きれいごとばかりでは。何も考えなければ。
誰も動いてくれないんだよ。」
そんな厳しい言葉が僕の中で響いた。
でも、それは自分にも言えることだった。
僕は少しずつ部下にこうしたい、ああしたいという夢を語っている。
言葉にすることで責任が発生し、意識が変わる。
ただ、意識が変わることは「自身の化学変化」なので、
結果まわりは何も変わらない。
行動を起こしてこそ初めて「他人の目から見える変化」が生じてくる。
それが感動を与えるものなら、人の心はきっと動く…はずなんだけどね。
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